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you s o 's

目の前の男は泣いていた。

親友と呼べるわけでもないその男は、両手で顔を覆い、僕の傍で声を上げて泣いていた。

僕という人間はどういう訳か、話しやすいらしい。
聞き役に買われる事が多く、色んな話を聞いてきた。
家族、恋愛、友情、金銭、病気。

多くの“相談”はこの場合、崩壊を暗示する事が多い。

そして後悔。

僕に何を求め、どこに向かうのかもわからないのだけど、今回僕はその話をただ黙って聞いていた。
黙々と鏡に映る彼を時折見ながら。



聞いてくれるか。

なんかお前なんてそんなに深い付き合いじゃないんだけどな。
だけど、そういうのもありだろ。

そう言って語り始めた。


*


出会いは、ありふれた社内恋愛だよ。
美人だった。

ほら、あの女優。
お前は知らないかもしれないけどな。
黒木メイサっているだろ。
知ってるか?
あの人にそっくりだった。
背も高くて、大きな黒い目。
パンツを履いた時の足が細くて長い事。

何がどう回ったのかわからねぇよ。
気が付いたら2人でタイ料理なんて食べていた。

ビルの6階くらいだったかな。
照明の暗いレストランで、仕事の話はほとんどしなかった。
相手の事、オレの事を少しずつ話していった。
雰囲気の良かった会話なんて、大抵は記憶には残らない。
何を話したのかなんて詳しく覚えていないのに、座った位置や、その時見たもの、それからただ楽しかった事だけが頭に残る。

オレはナントカっていうDVDを貸す約束をしていたんだ。
だけど迷っていた。

彼女を好きになりかけていたけど、彼女には別に好きな人がいた。
もてるような人だ。
とても優しくて、さりげない。
気も利く人で、手先が綺麗な人だった。
そりゃほっとかないだろ。

だからDVDを貸すなんて、彼女が快く受取るか自信がなかった。
貸す、という事は、返さなきゃいけなくなる。
それは次に会う事を想像させてしまうから。
だけど、次にそのDVDを受け取って「どうだった?あのシーン」なんて会話をすでに想像してしまっていたんだ。
知らない間にそのディスクは彼女の鞄に収まっていた。
まるでそこの場所が初めから空いていたかのように、お互いが少し惹かれているのもわかった。

食事を終えたオレ達は、少し遠回りをして駅に向かった。
もうコートが必要になりそうな、多分11月とか12月の頭だったんじゃないかな。
オレは車で来ていたけれど、彼女とは駅で別れると決めていた。

オレがはっきりと彼女への気持ちに核心を持ったのは、人通りが少ない街路樹を歩いていた時だ。
彼女は鞄を両手で前に持ち、幼く見えるような仕草で歩いていた。
暗い夜に、ふと街灯に照らされた彼女の横顔を見た時に、品よく食べていた食事、きれいな指、控えめな話し方、その全てが歩き出した彼女に集約されているのだと思うと、オレはもう彼女と1秒でも長く一緒にいたくなった。
自動販売機で時間を稼ぐような高校生みたいな真似までしてね。

だけど彼女のはっきりとした心中もわからぬまま、その日は日付が変わらないうちに、駅の改札の中へ彼女は消えていってしまった。




彼女はオレの人生で最も好きになった女性だった。
だからこそ、オレは慎重になりすぎていた。
馬鹿だったよ・・・。

お前も知っての通り、オレには多額の借金があった。
決して娯楽に費やした金ではなかったけど、借金は借金だ。
だから彼女と恋人同士のステップをためらったんだ。

ずっとキスすらしなかったぜ。
メチャクチャ好きだったのにな。
きっと彼女もそうだったと思う。

2年も男女の関係にもならずに、想い合う恋人なんているか?
それだけ彼女が大切だった。
大切に大切にしたかった。
自分の、男の欲を吹き飛ばすくらい本当に大好きで大切な人だったんだ。

オレは全てを清算したら、彼女にちゃんと言うつもりだった。
その為に、努力もした。
知ってるだろ?あの出来事を?

なのに、オレは彼女の魅力に負けてしまって、ついに彼女を抱いたんだ。
その夜、お酒を飲もうとした彼女に「飲んだから抱き合わない」なんて事を言って黙らせてしまった。
オレはシラフで、正面から向き合っていたいと思ったから。
何かも力も借りずに、その先のお互いの感情に怯えながら、それを越えたいと思ったんだ。
男なら信じられないよな。
だけど、こっちが大切にすればする程、相手も自分を大切にして、軽く扱えば扱うほど、簡単にほいほい服を脱ぐ女になるんだぜ。
オレは彼女には自分を大切にして欲しかった。
オレもとても大切に大切に想っていたのだから。

そんなに人を大切に、好きになった事あるか、お前?
オレはそれが今となっては誇りですらあるよ。
もちろん後悔はしていない。
最も幸せな時間だったのだから。

彼女とはそれからも恋人同士として過ごした。
たわいもない会話、プレゼント、突然会いに行ったり。
でもケンカの度に彼女は言うんだ「はっきり彼女になった覚えはない」って。
オレはどれだけ彼女を愛していても、完全に清算するまではと腹をくくっていたんだ。
彼女の気持ちも気付かずに。

それが過ちだった。

彼女とケンカをしても、オレと彼女はお互いに強く惹かれあっていたから別れる事なんてなかった。
でもいい加減彼女は、オレと見切りをつけたかたんだろう、あるコンパで出会った男とデートしたんだ。

そこで悲劇が起こった。

オレは彼女を慰めるどころか非難してしまったんだ。
酷いだろ?

どっちも悪くて、どっちも悪くないんだ。
お互い好きでしょうがなかったんだから。
悲劇とはそういうのもだ。
だけど、彼女の口からせめての謝罪が欲しかった。
「ごめん」それだけでよかったんだ。
大切な大切なものを壊した謝罪だけだ。
オレはそれで全てを許せた。

だけど結局、彼女とは別れる事になった。
これまでの話とは決定的に違う別れ話だったんだ。

そしてその頃出会ったのが優奈だ。
お前も知ってるだろ?
医者のあの優奈だ。
美人で品がある、オレが好きに、いや誰もが好きになりそうな人だ。
一年のほとんどをボランティアで海外に行くような人だ。
世界が違った。

大きな目、長い手、足、髪。
誰よりも優しい人だ。
彼女は最近はそのほとんどを南アフリカで過ごしているといった。
自分の全てを注いで、没頭していた。
チャリティーの席でオレのスピーチを聞いた彼女は、「一度しかあくびがでなかった」といたずらっぽく笑った。
「それを見たから切りあげたんだ」とオレは交わした。
それが初めての会話だった。
優奈とはその後で「平和について話がしたい」と真面目な誘い文句に乗り、会場を出た外で立ったまま2時間討論をした。
同じ年だという事に、オレも彼女もとても驚いた。
お互いが年上だと思っていたんだ。
とてもしっかりしていたし、その仕草はとても31歳の女性が身につけているような仕草じゃなかった。
それから彼女はアメリカから帰る1月後まで、待っていてといった。
とても恥ずかしそうに、「男性に興味を持ったのはとても久しぶりだから。でもまだまだ好きじゃない」とはっきり言った。

一ヶ月後、戻った優奈とデートをした。
オレも楽しみにしていたんだ。
だけど、彼女の事を忘れたわけじゃなかった。
オレも優奈がオレに言ったように、まだ好きになったわけではなかったんだ。
だから彼女の話をしなければいけなかった。
忘れられない人がいる、と。
彼女の話をした時、優奈はこう言った。
「なんだ。せっかく好きな人ができたのに、何もしてないのに振られちゃった」と。
そしてこうも付け加えた。
「私はそんなことしないわ。あなたが私を好きでなくても、私はずっと好きでいるから、いつでも言って」

気が強い女性ではないのに、優奈は強かった。

オレは優奈に甘えて、一緒に過ごすようになった。
当然何処へ行っても恋人扱い。
それでも彼女は「違うんです、私は好きなんですけどね」とさらっと交わしていた。

ある時オレは優奈に「ごめん」と断った。

あの彼女から連絡があったからだ。
「病気なの」
そう言った彼女の力になりたかった。
再び距離を縮めるとかじゃなくて、彼女が元気になるのなら、何も惜しまないし、なんだってしたいと思った。
彼女も正直だ。
その電話の最後にオレに告白したんだ。
「彼氏がいるの。でもあなたに連絡してしまった」と。
ショックだった。
だけどそれよりも、彼女の病気が心配でそれは致命傷にはならなかった。
ただ電話越しに話をして、ただ言葉を交わした。
これも浮気か?
彼女はずっとずっとオレが好きで、オレはずっと彼女が好きで。
誰に、浮気? 何が浮気?

形よりも、なによりも愛情の矛先が誰か、だと思うから。

何度も電話だけで彼女を励ました。
はたしてオレが支えになったかはわからない。
彼女は懐かしさでオレに頼っただけなのかもしれない。
だから会えなかった。
オレはとても会いたかったけど、彼女はそれを許してくれなかった。
そして数ヵ月後、彼女は無事回復した。
手術も成功して、日常生活に戻った。
すると、オレは影で支えるのではなくて、やっぱり彼女を諦めきれなくなって、会って欲しいと言ってしまった。
「もしその彼と深い関係になれずにオレを想ってくれていたら」なんて付け加えて。

酷いだろ。

普通はそうはいかないんだ。
優奈やオレとは違うんだから。

彼女は黙りこんでしまった。

それが無言のYESであることは明白だった。

そしてオレは彼女に嘘をついて別れた。

「もう冷めたよ」と。

彼女に会ってしまうと、きっとそれを咎めてしまう。
それが嫌だったんだ。
自分も彼女も嫌になりそうで、もうやめにしたかった。

「必要な時だけでいいから」と毎日オレに電話をくれる優奈に甘えたかった。

だけどそれはできなかった。
優奈に甘えると、優奈の一生に傷をつけるような気がして、でもオレはもうどうでもよくなって。

優奈は数ヶ月苦しんでいたオレをパリに誘ってくれた。
「2人でパリに行こう、パリから彼女に電話しなさいよ」

あそこは開放的にしてくれるから、エッフェル塔を見て、凱旋門をくぐって、美味しいパンを買って、パリで過ごしましょう。

そう言ってパリでの10日間をプレゼントしてくれた。

腕を組んでパリの街を一緒に歩いた。
オレはすでに優奈を好きになり始めていた。
流暢なフランス語でレストランのオーダーも取る彼女。
たまに怒るけど、完璧な人だった。

優奈が学会で抜けた一日。
あれはわざとだったのかもしれないな。

オレはルーブルへ行った。
画の詳しい優奈と一緒だと迷惑がかかると思ったからだ。
美術館は広かった。
あっちへ行こうか、こっちへ行こうか散々迷った。
モナリザくらいしか知らないオレは、少し疲れてしまってカフェで休む事にしたんだ。
休んでしまうと、今度は力が抜けて急につまらなくなってしまった。
もう帰ろうかな。
そう思った時、彼女にそっくりな日本人女性がそこを通りかかった。
「あ」
思わず声がでた。
一瞬その女性がこちらを見ると、にっこり会釈をしてくれて、その顔がまた彼女にそっくりだった。
「どこかで?」

すぐに人違いでしたと説明するものの、オレはそのままにしたくなくて彼女にカプチーノを御馳走するといって引きとめた。
彼女の話をするとその女性は、美術館の中だけ彼女でいてあげましょうか、と面白い提案をしてくれた。

信じられない事だけど、オレはその女性と一緒にモナリザを目指した。
モナリザはルーブルの中でも最も遠い部類に置いてあり、オレはゆっくり歩いた。
優奈の事も話した。
フェアじゃないと思ったからだ。

その女性は自分の事を離さず、ただ一人で旅行に来ていて、よければ訪ねてきてもいいと、宿泊のホテル名まで教えてくれた。
ルーブルを出ると、すでに暗くなり始めていた。
一旦別れたオレは、部屋に戻ってその事を話そうと思ったのに、優奈はまだ帰っていなかった。

寂しかった。

オレはそのまま優奈に黙って、その女性の宿泊先まで足を運んだ。
黙ってというか、優奈は学会で遅くて連絡が取れなかったんだ。
言い訳か。

エレベーターを昇り、部屋の前まで行った。
オレはおかしい。
自分でもわかっていた。
彼女に似ているからって彼女じゃない。
だけど、誰も知らない誰かに甘えたくなったとしたら、この部屋の中の女性だ。
知らない間にノックをしていた。

暫く時間があってから、キーが外れる音がすると、彼女が顔を見せた。
「こんばんわ」「・・・こんばんわ」とありふれた会話。
余計な一言をこんな時は誰も言わないだろ。

「来てくれたんだ」 「・・・・」
返事なんてできなかったよ。

そのくせ「入ったら?」そう言われたとたん、恐くなった。
「いや、そういうつもりじゃ。ちょっと外、歩きません?」
とオレは咄嗟に返事をしていた。

「こんな恰好で?」
彼女がドアを少し開くと、とても華やかなパリの街に出れるような格好でない事が分かった。

「じゃ、ロビーにいま・・・」と言いかけたオレの言葉を遮って、彼女はオレを引きいれた。「入って待っててよ、逃げられると嫌だから」
グッと引き込まれると部屋には甘い香りがしていた。
別人のようだった。

ちょっと着替えるから、といってバスルームに行った彼女に置いていかれると、オレは窓の外に目をやるしかなかった。
きっとお金持ちなのだろう、リモアのスーツケースから溢れたショッピングバッグが整列していた。
窓に近付くと、エッフェル塔がうっすらと見える。
日本は何時だろう?

彼女は、あいつは何をしているかな。
いつまでたっても頭から離れなかった。

迷いに迷って忘れられないんだもんな。
参るよ。
優奈がいて、とても似た人が手の届くところにいるっていうのに。
ちょっと笑うと気持ちが落ち着いた。

オレはデスクにあったメモに「すいません、勝手な事して」と書き置きを残して、部屋を出た。
ロビーでなら気が紛れて待てたかもしれない。
いや、そもそのオレはどんなつもりであの女性の部屋に行ったのだろうか。

オレはタクシーに乗り込み、すっきりした気持ちで、自分のホテルの部屋に戻った。
優奈はまだ帰っていない。
ノートパソコンを立ち上げる。

日本は・・・・昼か、夕方か。

オレは思い切って、彼女へ電話をした。
電話にでてくれたら「もう一度」と話をしよう。
何度もコールが鳴る。

ぷるるる。
ぷるるるるる。
彼女は出ない。

そりゃそうだ。
仕事中だ。

途中からはもう出ないとわかっていた。
わかっていたのに、ずっとそのコールを聞いていたかった。
そう心に決めていたのに、やっぱり彼女は電話には出てくれなかった。
パリから日本はあまりにも遠すぎた。
“遠くへ行くほど君を思い出す”
懐かしい曲が頭の中で何度も回っていた。

そのまま呼び出し音のまま受話器を当てていた。
何度目のコールだったろう。
部屋のドアが突然開かれると、優奈が現れた。

「ごめん、遅くなって」

オレは受話器を慌てて置いて、「お帰り」と声をかけた。
優奈の視線がオレに映る頃には、完全に受話器を置き終わっていたのに、優奈は「でなかったんだ」と諭すようにオレに近づいて抱きしめてくれた。
そしてそのままだったら流されたかもしれないその一日の終わりに、優奈は「少し外を歩こうよ」とその格好のまま再び部屋を飛び出した。
完璧な人だ。
「オレ、あのままだったら優奈を抱いていたかもしれないぜ」
少し夜風に当たってからそういうと、優奈は風で流れる髪を耳にかけてオレに言った。
「ないよ、絶対。私驚いたもの、流石にパリのホテルでひとつのベッドで寝ているんだもの、少しくらい私にいたずらしてくれたっていいのに、何もしないんだもの」
「・・ごめん」
「いや、わかってたんだけどね。だから私も大事にされてるって思えるし、この人の前なら自分を大切にできるって思えるから」

そう言う優奈の横顔にセーヌ川のポン・ヌフに充てられたオレンジ色の光が当たって、とても綺麗に見えた。

そして優奈は面白い事を言った。

パリってね、必死に頑張ってるのよ。こんなにきれいに見えるのに、“華の都”なんていわれるくせに、フランス人なんて全然ルール守らないんだもの。誰かが必死で掃除して、キレイに見せて頑張ってるの。夜のパリを歩くと、これが本当のパリなんだ、でもやっぱ綺麗だなって思えて、私も頑張ろうって思えるの。
パリの美しさが偽物だって言う人もいるけどね。それでもいいの。私はパリがこうだって自分で持ってるもの。だからいいの。でも大切な人にはそれは伝えたいって思うから。

途中までは優奈が何を言いたいのか、全くわからなかった。
でも最後の一言でそれがはっきりした。

だからあなたにも見てもらいたくて。

何もわからず涙が溢れた。
それは日本にいる忘れられない彼女にか、優奈にか、自分の涙なのか、オレにはわからなかった。

ただオレはその涙を拭かず、ずっと優奈とパリの夜を歩いた。








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